友達が・・・

 

さっき、友達からSOSをくらった。

 

なんでも、乳房から変な汁がでるようだ、子供いないのに。

こういう相談って普通、女友達にすると思うんだけど、

なんで俺に相談してきたのかというと、どうやらその友達は、俺が医療に詳しいと思っているみたい。

 

まあ、健康オタクですから、一般人よりも少しは詳しいけど、女の病気についてはこれっぽちも分かりません。しかし、乳房から汁がでるって初耳だし。

 

そんなわけでちょい調べてみると、どうやらホルモンとか病気もちらほら関係してるみたいだ。ちなみにこれ、男にもありえるみたいよ。

 

パソコンでブックマークしてる医療サイトみてみると、タイムリーなことに同じ病気のことについて書かれてたから、ちょいと紹介。「乳首・乳頭から分泌液(透明・白色や血液)がでる原因と病気の種類 | My +Hels

 

そして、男でもでるという情報がこちら、「男なのに乳首から透明な汁が出ます少し粘り気があり糸を引くように伸びますこれ... - Yahoo!知恵袋

 

汗かなんかじゃね?って思うけど、まあ出たというのなら信じますよ。で、女の方はというと、生理的な液漏れだったり、乳腺の病気だったり、はたまた乳がんだったり、いろいろ原因があるみたい。

 

透明な分泌物って言ってたから、おそらく生理的なものだろうと。とりあえず明日LINEでこの結果言ってみるけど、ネットの情報ってどこまで信憑性があるのか分からんからな。

 

ただ、これを知るために書籍あさるのも面倒だしな(笑)まあでも、女の病気もちょっとは興味あるから、この機会に勉強してみるのもいいかも。

 

なんやかんやいって、こういう風に相談受けるのって悪い気はしないからな。かといって、でたらめなことは言えんし。

 

まあ、時間がある時にでも本屋いって、ちょっくら良さそうな書籍でもみてきますかね。医療関係の本って結構高いんだけどね。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先にボケた者は幸せ、という嘘


    
ssd先生のところでこういう判決が出ましたよーという記事を読んで。ああやっぱりここまできたかと思ってしまったわけですな。以前にも身体抑制に関しては「防衛看護」で書いたことがあった。ここのところ抑制とは縁のない病棟で働いてはいるが、何年かこの仕事をしていれば誰でも突き当たる話ではあるし。

 

さて先日、同じように人手の足りない、内科病棟にヘルプに行ったら大認知症不定愁訴祭り絶賛開催中でナースコールの嵐(泣)、盆暮れや連休のある時期にこういう状態になる(社会的入院が増える)のはどこの病院も似たようなもの。お預かり入院を受け入れているとはいえ、もちろん一般病棟であるから重症者もいてモニターのアラートも鳴り放題に鳴っている(大泣)。そういやちょっと前まではこういうところで働いていたんだなあ、としみじみ思い・・・出している暇なんかなかったなー。

 

夜勤者からの申し送りもすんで、ある部屋に「おはようございますー、血圧測らせてくださいねー」と行くといきなり前夜から続く不穏、っつーかせん妄で興奮状態も覚めやらぬご老体に鼻息も荒く「オレを批判していたな!お前はオレを陥れようと前からずっと狙っていたんだろ、そうに違いない!おとといの夜コジマと話していたのは何の謀議だ?とぼけてもわかるんだからなああああ!!」などと詰め寄られたりして。

 

ああなんだろうこの既視感、っていうかコジマさんって誰?

いわゆる「妄想」というのは
1.事実ではない
2.訂正不能

 

の思い込みである、と教わってきた。認知症によるものと他の精神疾患によるものとでは妄想の質に若干の違いはあるものの、基本的な対応法としては妄想内容を肯定も否定もしないで「あなたはそう感じているんですね」と流して、現実の話を振る。ところで今日はいい天気ですから散歩にでも行ってみませんか?とかそろそろ10時ですしお茶にしませんか?とかいうの。間違っても思い込みを訂正しようとして説得なんて試みたりしないこと。はい、もちろん全ての流れを呼吸するようにサラッとできるぐらい慣れておりますしきちんと実践しておりますし。

 

介護する家族などが時々「ボケて何にもわからなくなっちゃって」と言うことがあるが、実は彼らは何も理解できなくなっているわけではない。自分が現実にそぐわないことを言っているのではないか、周りに「ちょっとおかしい」と思われているんではないか、このまま誰にもまともに相手にされなくなるんではないか、そういう「現実社会」からゆっくりと自分が切り離されていく恐怖感を持っていることは、認知症の初期にちょっと気をつけて様子を見ていればすぐわかる。徘徊や不潔行為(便いじりなど)易怒性などの各種問題行動とされているものの多くは、現実認知能力の低下と、それに伴う自尊感情の低下が大きな原因であるとされている。

 

一見すると支離滅裂な、それでいて大真面目な彼らのロジックを丹念に拾っていくと、彼らなりの切実なひりひりするぐらいのリアリティが見えてくることがある。妄想というものは、ほとんどの場合被害的なものだ。自分が加害者だと思ってしまう妄想はうつ病でちょくちょく見られる罪業妄想ぐらいじゃないかな、と思う。

 

妄想に支配された状態の彼らの考えは自分が「批判され」「攻撃され」ているというところから、がっちりと動かない。それはまるでおのれの「正しさ」を信じる根拠に「批判され」「攻撃され」ることのみを求めているかのようにすら見える。「間違っても思い込みを訂正しようとして説得なんて試みたりしない」のは「話してもムダ」だからではない。かえってその行為が彼らの思う、おのれの主張の「正しさ」を確信させることにつながるから、である。自分は正しいことを言っているから理解されない、誰からもわかってもらえないからこそ、自分は正しい、と。

 

ギリギリのところで持ち続けようとする彼らの現実社会との接点として、自分を「批判」し「攻撃」するという、必要な「敵」が生まれるのかもしれない、と思う。例えば「自分に対するあてこすりを言っている!」と指差すテレビの中に、「ほらここに、ヨメが私を昔からバカにしていたという証拠がある」と示す週刊誌のページの文章の中に、外界と自分との「つながり」をどうにか持ち続けるためのいじらしいぐらいの努力を見る。もちろんそこで本当に必要なのは別のものであるのは間違いないのだが、多くの場合それに気づかれることなく、ずいぶん進んだ時点で「ちょっと大変ですが・・・」という前置きつきで家庭や施設からの入院を我々は受ける。

 

数年前に東京であったリハビリテーション・ケア合同研究大会で会った、日本でもまだ数少ない認知症ケア専門認定看護師に興味深い話を聞いた。

 

身に危険の及ばない範囲なら、その「敵」になりきって向けられた攻撃性をそのまま受け止め、時には負けて謝罪してみせたりして満足させる、という対応を実験的にしている老人施設がいくつかあるのだという。

 

でもそれはかえって妄想を助長することにはなりませんか?と聞くと

 

「よくそう言われますが、これはひとつの『治療的関わり』の方法と受け止めてください。攻撃性を妄想の中にいる不確かな誰かではなく、実体のある対象に向けて発散することで、ひとつの達成感を得られるようです。現に1年近く追跡調査をしていますが、各種問題行動は減ってきているという結果が出ています」

 

確かにそうかもしれないけど・・・それにつきあう職員の消耗ぶりたるや、どんなものだろうと考えるとあまり手放しでオススメできる対応法でもないような気がする。とはいっても似たようなことは相当昔から、熟練した付添婦さんや長く介護をしてきた家族などが経験的にしてきたのではないかと思うのだが。

ボリビアの独立

ボリビアの独立183周年を祝うBolivia de Fiestaに行ってきた。本当の独立記念日は8月6日、日本では広島原爆記念日(うちの相方はいろんな含みで「1st国辱節」と呼んでいる、ちなみに国辱節の数はこのところ増える一方)なんだけどイベントがあったのは昨日。このイベントでチチカカ関が民族舞踊のカポラーレスを踊るぜ、カッコいい俺様を存分に楽しむがいい!ってことでご招待を受ける。

 

民族衣装って偉大。あの見事なメタボっ腹はどこへいったのかと思うぐらい見事に隠蔽されていて・・・じゃなくて似合うんだよな、やっぱり。それはやはり向こうとて同じことらしく、いかにバリバリ日系人の女の子でも、キモノを着るとやっぱり何かが違うんだと。


4歳の女の子。彼女のパパはボリビアーノでママは日本人。

 

ものすごく利発なかわいい子で、彼女はどうやらチチカカ関のことが大好きらしい。

 

わたしとチチカカ関が一緒にいるところにやってきて、いきなり「あなた妹?」と聞いてきた。どうも一発牽制された模様。ドイツイタリア系移民3代目の彼と、どう見ても日本人です、どうもありがとうございましたのわたしと(しかもこっちの方が14歳年上である)ではどう見たところで血縁なぞありえねー!なんてもんだ。「まだ4歳だからわからないんだよ」とチチカカ関は言っていたが、わたしは違うと思った。

 

彼女はボリビア人と日本人との間に生まれた子で、彼女のきょうだいはもろに日本人顔だったりする(肌の感じはなぜかコーカソイド系なのに)。もちろん南米は混血がずいぶん進んでいるところであるので、ちょっと見ただけではインディヘナっぽくても、実はいろんな人種の遺伝子が入ってたりする。そして何かのときにいきなり表現形としてでてきたりするわけで。彼女にとっては顔立ちや皮膚の色で違いを判断しないのが当たり前の日常を送っているんだなあ、と思ったんである。わたしが南米で感じた、アフリカの時とはまた違う居心地のよさっていうのは、こういうところだったんだろうなあ、なんて思った。

外交戦略とゆーもの


    
例えば自国を防衛するために、すんごい軍備をしてガンガン見せびらかす。

「ボクちんを攻撃したら、ひどい目に遭うんだからね!」

という手段も、やりたい人にとってはアリ。敵が上陸しそうな海岸に、何か仕掛けておくというのもアリ、自国民を90人救うために10人がとばっちりで犠牲になるかもしれないけど「しょうがない」こと。自分だけは絶対にその90人の中に入れてもらえるに違いないとおめでたく無邪気に信じる皆さんもそう認めてくれてるし、それは「正当」な「防衛」なんだよねえ、ハイハイ。

「しょうがない」し、アリなんでしょう。でもわたしはそういう手段はあまり使うべきではないと考える。なんだか「普段はおとなしいけど、キレたら何をしでかすかわからないんだよ!」と自己申告しているヘタレ中学生(ナイフ携帯)みたいだし。

平たいアジア顔でも心はモミアゲみょ―んの人たちのよに「穏健にかつエゲツなく」がわたしの信条。うっかり手なんか出したら周囲が黙っちゃいない、最悪村八分にされるぞと思わせるぐらいに、周囲に根回しとアピールをしておく方が得策かと考える。先の大戦のときのオランダのように、さっさと非交戦中立を宣言しておいたから、戦後いかにこちらが「あーあー」なんて思うほどのゴーツクなカッパギ方をしても「中立だって言ってる国に手を出したんだから『しょうがない』ね」なんて国際的には話が通っちゃった、てな感じで。

さて、ヒトの胃袋容量は無限ではない。一生のうちに食べられる食事には量も回数も限りがある。各種事情でカロリーや塩分、食事形態などに制限のあるヒトを日常的に看ていると、自分の意思で食べたいものや、一緒に食べたい相手を選べることは素晴らしいことなんだとしみじみ思う。

夜勤に入ると、夕食と朝食が病院から支給される。
こちらは夕食。(かじきのバター醤油ソース、空豆と人参の豆乳煮、コールスロー、卵とコーンのスープ)


こちらは朝食。(ホウレン草とソーセージのソテー、もやしと竹輪のおひたし、たまねぎのみそ汁)


ええ、患者さんと同じものですが。(ついでに言うと隣の老人ホームも同じ。)

別にこの食事をまずいとは言いませんよ。言いませんともさ。しかしフリカケご飯がこんなにウマイものだとは病院に勤めるまで知らなかった、とだけ言っておきますが。

月に5~6回、この病院の夜勤に入る。他に別の病院に行くこともあるが、どこもニタリスとヨッタリスである。しかしこういう食事が出るのはまだいい方、すごいところはコッペパンと牛乳を2本ずつ(朝夕ってことらしい)とか、カップ麺が休憩室に積んであるだけ、とかいうのもある。早い話が日常のほとんどをこういう食事で生きてます。ってことで。

こういう食生活で頑張って働いているかわいそうな看護婦さんに、おいしそうなものを見せびらかしてイヂワルをするわるーいおねいさんがいますよぅ、ひーん。

類似点を述べよ


    
こないださー、交通事故見かけちゃって、つい手ぇ出しちゃったさ、という話を病院でしたら同僚が

「あっ、あたしもこないだ家の前でー、見てただけなんですけど」と言う。

「夜の11時ごろなんですけどー、家の前で急に子供の泣き声がしたんですよ。それがホントに、ぎゃーって火がついたような、ぐらいの激しい泣き声でー。そんでなかなかその声が遠くに行かないんですよ。なんか変だなあって思ってたら、救急車が来てー、それで子供をストレッチャーに乗せたはいいんだけど

ずーーーーーっと、そこから動かないんですよ。子供泣き喚いてるんですよ、ストレッチャー乗せられた時もぎゃあぎゃあと。

それで救急車が『5歳ぐらいの女の子が事故に遭われました。この子のお父さん、お母さんいらっしゃいませんかー?』ってスピーカーで何度も何度も呼んでるのに全然誰も出てこなくてー。え?子供一人きりでこんな時間に?事故?って不思議だったんですけどお。ほら、保護者いないのに勝手に搬送できないじゃないですかぁ。そのうち子供も落ち着いてきて年と名前言ったみたいでー

『○○○○ちゃん6歳のお家の方ー?近くにいらっしゃいませんかー?』って何回か呼んだらやっと親がどっかから名乗り出てきたらしくて、それで救急車も出発できたんですよー。」

えーと、何その話?近所の人?つーかさあ、名前言われなくても自分とこの子供の泣き声って聞き分けられるもんじゃない?かーちゃんが仕事してたからさ、わたし中学生の頃よくうちの小僧(弟)を保育園に迎えに行ったけどさあ、もう園庭に入る前から複数泣き声が聞こえても並み居るその中から「あ、うちのが今日も泣いてる」って聞き分けられたもんだけどなあ。

「いえ、近所は近所らしいんですけど・・・実は近くに某宗教団体の施設があってー、その日も何かやってたらしいんですよ。そんで連れて来られてた子供が退屈して外に出ちゃったみたいで」

えーと・・・その宗教団体って、よく電車の中吊り広告で・・・

「そうです。『教育の世紀』とかってデカデカと」

・・・・・・・orz

そして水葉さんとこでこんな話。

もはや脱力としか言いようがないんですが。

閉塞型睡眠時無呼吸症候群の診断と治療について



睡眠時無呼吸症候群の適切な治療を進めるためには、睡眠時無呼吸症候群であることを確認し、低換気と無呼吸の程度を調べ、無呼吸が閉塞型・中枢型・混合型のどれかを判定し、重症度を正確に調べることが必要不可欠です。

診断法にはいろいろありますが、夜間に睡眠ポリグラフィーを行なうのが基本です。睡眠ポリグラフィーとは、自然に近い睡眠の下に、睡眠の深さ(脳波)、いびき音、口と鼻を流れる息の大小、有無、胸と腹の呼吸運動、動脈の血液に含まれる酸素の量(酸素飽和度)、心電図、その他多数の項目を一晩中連続して記録し、その結果を解析して診断するものです。

睡眠ポリグラフ検査を実施するには、経験のある臨床検査技師、その他の医療スタッフがそろっており、検査機器が完備した検査入院施設が必要となります。日本はこの点では大変遅れており、全国でも数えるほどの施設しかありません。今、私たちはその改善を進める努力を始めています。

治療法にもいろいろありますが、中等度以上の閉塞型睡眠時無呼吸症候群では、経鼻陽圧換気療法という治療法が世界的に行なわれ、とても良い効果が得られています。これは簡単な人工呼吸器のような機械から出る気流を、マスクを通して鼻の中へ送り、気道の閉塞を防ぐものです。乱暴な方法のように思われますが、実際にはいびきがなくなり、熟睡感が得られ、驚くほど目覚めが快適になるケースが多くみられます。装置も持ち運び可能で、音も静かなものが作られています。
    

肥満がある場合は、減量により明らかに無呼吸が減ります。しかし、減量に一時的に成功しても、長期間維持することは容易ではありません。いつか体重を減らそうと願いつつもそのまま放置し、定期チェックも受けなくなるケースがよくあります。2年、3年と放置すれば、合併する生活習慣病(高血圧、糖尿病、冠動脈疾患、脳血管障害など)が増悪し、死亡率が高くなります。

アデノイドや扁桃肥大などの外科的に修正できる上気道狭窄は、耳鼻咽喉科的な手術療法を行なう適応があります。ただし、一時改善しても再発することがあるので、半年から1年以上経過を見て効果を確認する必要があります。

また、歯科装具による治療法もあります。これは、下顎をわずかに前方へずらした位置に固定する、総入れ歯を上下あわせたような形をしているマウスピースをくわえる方法です。舌が前方へ引っ張られて気道が開くために効果が現れます。有効率は約60%ですが、手軽な方法なので捨てがたい治療法といえます。

「あやす」「あそぶ」で伸ばせ! 赤ちゃんパワー



赤ちゃんが育つうえで、遊びはとても大切。

「遊ぶ」ことにより脳・心・体は刺激され、発達が促されます。
「あやす」のも赤ちゃんを泣きやませるだけの意味ではなく、りっぱな遊び。

大人はそんな遊びをどうサポートしてあげればいいのか、徹底研究してみましょう。



遊びと脳の密接なカンケイ

脳の発達に欠かせない脳内の細胞ネットワーク化。その形成と整理に遊びが役だつ


赤ちゃん時代の脳は、 脳内細胞ネットワークを形成中



シナプスの密度のピークは視覚野が8~9カ月、前頭葉は4~6才ごろ。増えた後、経ることがわかっています。

生まれたての赤ちゃんの脳は、わずか400グラム程度しかありません。ところが6カ月で約2倍、3才で3倍、5才で成人とほぼ同じ重さと、乳幼児期にめざましい変化を遂げます。

でも、脳の発達とは、必ずしも脳の重量が増えることを意味するわけではありません。

この時期、脳内では神経細胞がどんどんほかの神経細胞のとの結びつきを増やしています。

たとえば、ふれる、見るなど刺激を受けると、その刺激はシナプスという神経結合部でほかの神経細胞に伝達され、細胞どうしの連携を深めます。

いわば、脳内で情報のネットワーク化が進むということ。このネットワーク化が、脳の発達にあたるのです。




繰り返し遊ぶことで、 余分なネットワークを整理

神経細胞には長い軸索突起があり、情報の伝達をするのはその先端のシナプスという部分です。

刺激は神経細胞内では電気信号で、シナプス間は神経伝達物質により伝えられます。


ただ、子の神経細胞どうしの結びつきは多いほどいいというわけではありません。

視覚野のシナプス密度のピークは生後8~9カ月ごろで、その後減っていきます。

シナプス密度が高いということはネットワークも多いということですが、それだとかえって、情報交換にムダが生じることがあるのです。


赤ちゃんは何かできるようになると、それを繰り返しますね。

たとえば、手足をバタバタさせる、握ってはなめる・・・赤ちゃんにとって遊びのひとつですが、そんな遊びをしているうちに自然と余分なシナプスは整理され、情報は効率よく伝達されるようになるのです。