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先にボケた者は幸せ、という嘘


    
ssd先生のところでこういう判決が出ましたよーという記事を読んで。ああやっぱりここまできたかと思ってしまったわけですな。以前にも身体抑制に関しては「防衛看護」で書いたことがあった。ここのところ抑制とは縁のない病棟で働いてはいるが、何年かこの仕事をしていれば誰でも突き当たる話ではあるし。

 

さて先日、同じように人手の足りない、内科病棟にヘルプに行ったら大認知症不定愁訴祭り絶賛開催中でナースコールの嵐(泣)、盆暮れや連休のある時期にこういう状態になる(社会的入院が増える)のはどこの病院も似たようなもの。お預かり入院を受け入れているとはいえ、もちろん一般病棟であるから重症者もいてモニターのアラートも鳴り放題に鳴っている(大泣)。そういやちょっと前まではこういうところで働いていたんだなあ、としみじみ思い・・・出している暇なんかなかったなー。

 

夜勤者からの申し送りもすんで、ある部屋に「おはようございますー、血圧測らせてくださいねー」と行くといきなり前夜から続く不穏、っつーかせん妄で興奮状態も覚めやらぬご老体に鼻息も荒く「オレを批判していたな!お前はオレを陥れようと前からずっと狙っていたんだろ、そうに違いない!おとといの夜コジマと話していたのは何の謀議だ?とぼけてもわかるんだからなああああ!!」などと詰め寄られたりして。

 

ああなんだろうこの既視感、っていうかコジマさんって誰?

いわゆる「妄想」というのは
1.事実ではない
2.訂正不能

 

の思い込みである、と教わってきた。認知症によるものと他の精神疾患によるものとでは妄想の質に若干の違いはあるものの、基本的な対応法としては妄想内容を肯定も否定もしないで「あなたはそう感じているんですね」と流して、現実の話を振る。ところで今日はいい天気ですから散歩にでも行ってみませんか?とかそろそろ10時ですしお茶にしませんか?とかいうの。間違っても思い込みを訂正しようとして説得なんて試みたりしないこと。はい、もちろん全ての流れを呼吸するようにサラッとできるぐらい慣れておりますしきちんと実践しておりますし。

 

介護する家族などが時々「ボケて何にもわからなくなっちゃって」と言うことがあるが、実は彼らは何も理解できなくなっているわけではない。自分が現実にそぐわないことを言っているのではないか、周りに「ちょっとおかしい」と思われているんではないか、このまま誰にもまともに相手にされなくなるんではないか、そういう「現実社会」からゆっくりと自分が切り離されていく恐怖感を持っていることは、認知症の初期にちょっと気をつけて様子を見ていればすぐわかる。徘徊や不潔行為(便いじりなど)易怒性などの各種問題行動とされているものの多くは、現実認知能力の低下と、それに伴う自尊感情の低下が大きな原因であるとされている。

 

一見すると支離滅裂な、それでいて大真面目な彼らのロジックを丹念に拾っていくと、彼らなりの切実なひりひりするぐらいのリアリティが見えてくることがある。妄想というものは、ほとんどの場合被害的なものだ。自分が加害者だと思ってしまう妄想はうつ病でちょくちょく見られる罪業妄想ぐらいじゃないかな、と思う。

 

妄想に支配された状態の彼らの考えは自分が「批判され」「攻撃され」ているというところから、がっちりと動かない。それはまるでおのれの「正しさ」を信じる根拠に「批判され」「攻撃され」ることのみを求めているかのようにすら見える。「間違っても思い込みを訂正しようとして説得なんて試みたりしない」のは「話してもムダ」だからではない。かえってその行為が彼らの思う、おのれの主張の「正しさ」を確信させることにつながるから、である。自分は正しいことを言っているから理解されない、誰からもわかってもらえないからこそ、自分は正しい、と。

 

ギリギリのところで持ち続けようとする彼らの現実社会との接点として、自分を「批判」し「攻撃」するという、必要な「敵」が生まれるのかもしれない、と思う。例えば「自分に対するあてこすりを言っている!」と指差すテレビの中に、「ほらここに、ヨメが私を昔からバカにしていたという証拠がある」と示す週刊誌のページの文章の中に、外界と自分との「つながり」をどうにか持ち続けるためのいじらしいぐらいの努力を見る。もちろんそこで本当に必要なのは別のものであるのは間違いないのだが、多くの場合それに気づかれることなく、ずいぶん進んだ時点で「ちょっと大変ですが・・・」という前置きつきで家庭や施設からの入院を我々は受ける。

 

数年前に東京であったリハビリテーション・ケア合同研究大会で会った、日本でもまだ数少ない認知症ケア専門認定看護師に興味深い話を聞いた。

 

身に危険の及ばない範囲なら、その「敵」になりきって向けられた攻撃性をそのまま受け止め、時には負けて謝罪してみせたりして満足させる、という対応を実験的にしている老人施設がいくつかあるのだという。

 

でもそれはかえって妄想を助長することにはなりませんか?と聞くと

 

「よくそう言われますが、これはひとつの『治療的関わり』の方法と受け止めてください。攻撃性を妄想の中にいる不確かな誰かではなく、実体のある対象に向けて発散することで、ひとつの達成感を得られるようです。現に1年近く追跡調査をしていますが、各種問題行動は減ってきているという結果が出ています」

 

確かにそうかもしれないけど・・・それにつきあう職員の消耗ぶりたるや、どんなものだろうと考えるとあまり手放しでオススメできる対応法でもないような気がする。とはいっても似たようなことは相当昔から、熟練した付添婦さんや長く介護をしてきた家族などが経験的にしてきたのではないかと思うのだが。